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軍艦島 35年目のいま 後編
JUGEMテーマ:建築
 

01島全景


ということで後編です。
31年前の記録です。今はもっと...
ほんとうに廃墟なんでしょう。

02島アプローチ
70号棟(学校です)のわきから調査の通勤をしていました。
島の正式な玄関は別にあります。(ここから先のドルフィン桟橋)
15年ほど前に台風直撃。
いま見えているコンクリートの防波堤と70号棟の土台部分(いわゆる地面です)が
波に持っていかれました。
地盤を失った70号棟は、むき出しの何本もの杭でつま先立ちのような状態でしたが...
この写真から想像できますか? 出来ないですね。
私は写真を見ましたが、我が目を疑いました。
波のパワーは凄まじい。 そしてこの島はそんな環境のなかで生きていた。

03島上陸
04.65号屋上幼稚園
学校グラウンドの裏にある65号棟。コの字型で庭を囲んでいます。
屋上には幼稚園もありました。
庭は子供たちの遊び場。ジャングルジムや滑り台は、
鉄製なので海の塩にやられて4年目にはクシャクシャです。
05.65号中庭遊具

島の上から70号棟(学校)を見ています。手前の広場?は炭鉱作業場です。
27.島の状況6

3号棟屋上(一番てっぺん)から16〜20号棟を見下ろしています。
ほとんどの住居は外廊下で、トイレも外で共同でした。
台風が島を直撃すると、波は島を横断したようです!!!
暴風時にトイレに行くことは大変危険で決死の覚悟、
何人もの方がそのまま波といっしょに海に持っていかれたようです。
ここに立ってみると、とても想像できませんね。
07.16〜20号棟
16〜20号棟の屋上は庭園になっていました。
16〜20号棟は一番高密度な居住区域で、研究室では日照環境を調査しました。
08.16〜20屋上庭園09.16〜20中庭日照状況
16〜20号棟(全体でくし型になっている)の中庭。真夏の12時の日照です。

部屋の様子。 いろいろでした。
開けっ放しでグチャグチャなもの(これがそう)。
きちんと鍵をかけているところも、
なかには、生活の瞬間をそのまま残している家族もありました。
入ってみたら、食卓のちゃぶ台に食器が並べられてあったり。(ちょっとどっきり)
12.内部
10.16〜20中庭
同じく中庭の風景。わずか4年です。
正面に見える外階段のわずかな隙間に、
戦争時、朝鮮から連れてこられた人たちが詰め込まれていた。
なんていう、悲惨なときもあったみたいです。
その場所に立ってみると、何とも言えない悲しい感情が出てきて...
今でも覚えています。 ちょっと悲惨すぎます。
11.16〜20中庭下部
13.研究メンバー
3号棟屋上(一番てっぺん)は、私たちのズル休みの場所でした。
隣島の公民館で毎日合宿調査。早朝から軍艦島に上陸し、
真夏の炎天下で日が暮れるまで実測調査。
帰ってご飯を食べたらすぐにミーティング。
そのまま深夜まで調査したことを図面化、レポート化です。
息抜きもしなくちゃ
で、
1人でサボり昼寝をしていたら仲間にみつかって、 罰として食事当番。
22.ずる休みに睡眠
17.島の状況4
59,60,61号棟の屋上

23.真面目に調査
作業はこんなかっこうで。 Tシャツ、短パンなのに白い靴下?
いやっ、当時のファッションではないですよ。
地面にはいろいろな物が落ちていて、釘なんかを踏み抜くので、
少しでも防御なんです。それに足元は虫が上ってきて噛まれるんです。
だから靴下。
後ろに隠れているのは島の神社です。(結婚式なんかも島でやります)

14.島の状況116.島の状況315.島の状況2
26.浜通りから
18.島の状況5桟橋1
59号棟わきの桟橋。いまは壊れて使えません。
桟橋への入り口。通称「めがね」
20.桟橋入り口
19.断崖
島全体が防波堤で守られています。高さは10mぐらいかな?
ちょっと海が荒れると、波は飛び越してきます。

もう1つの息抜き。お昼ご飯の後に海へとダイビング!
この後みんなで沖まで泳いでいったら、
直径40cmのクラゲに襲われて(遭遇ですが)
海中で心臓が止まりかけました。
21.昼休みにダイブ24.浜通り
浜通りへ下りるための階段。通称「地獄投げ」。
(すみません。私は由来を知りません。なんとなく想像できますが...)
57号棟と16号棟の隙間にあります。

ちょっと覚えていません。どこかの隙間の階段です。 こんなのはあちこちに...
階段が左に折れながら上に行きますが、
もっと左に折れていた階段の痕跡がわかりますか?
つまり、階段左側の建物が建つ前。道はもっと折れた階段の方だったんです。
島の人口が増えていくと、建築も増設されて。
だけど島の大きさは一定なので内側に高密度化されていき。
(島の一部は埋め立て拡大されましたが)
島は軍艦島へと変貌したのです。
25.浜通り階段28.浜通り商店街
浜通りの商店街?
島には、神社、プール、公民館、私設交番(自警?)、映画館までありました。
公衆浴場とパチンコ屋さんは、たしか65号棟の前、66号棟の地下にありました。
同級生.和田君と、地下のパチンコ屋さんに忍び込んだとき(一応進入禁止場所)、
真っ暗な中でいきなりパチンコ台から玉が出てきたときは、
びっくりして大声で叫んでしまった。 口から心臓ってああいうこと?
29.30号棟屋上
30号棟屋上。1916 大正5年に竣工した日本最古のRCアパートです。
ロの字型の中庭形式。
このときも大変危険で、外廊下や外階段は場所によっては崩落寸前でした。
今はどうなっているんだろう?
中庭に面した外廊下、外階段。
30.30号棟中庭31.おまけ阿久井先生
おまけショット。 阿久井喜孝教授とだれかさん。 特別にモーターボートで島へ


映像だけでは解かりにくいですが、
この島に高密度居住が展開されていました。
5000人を超える人たちがどのように生活していたか、
想像するだけでも...  凄いことです。
でも、
島民たちはここから出ようとはしなかった。
この場所は街として機能していたんだと考えられます。
私が、当時わかったことは、
いわゆる平面的な街が何層にも積層されていました。
グラウンドレベルの街と同じように、
3階の街。5階の街。6階の街があったんです。
そのレベルで、住人は島のどこへも移動できて、
そのレベルの町内会があるみたいだったんでしょうね。
上下にも水平にも編みこまれた街はタペストリーのように存在して、
集積回路のように複雑に入り組んで、機能していたんでしょう。
住民一人一人がそれぞれの生活マップをもっていたのでは?
この島は、それなりに不便、不都合、ストレスがあったに違いない。
だけど、
それを補う楽しさや生活があったのも間違いないと、想像できます。


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