India 89 No 2 はデリーを南下して、アグラーに着きました。
Agra
マハラジャの昔も、今も、軍事的な基地の色合いが濃い 80万都市。
有名なTaj Mahal はアグラーにあります。
ムガル朝.5代皇帝シャー.ジャハーンと皇妃ムムターズ.マハルの
物語はご存知ですね。
妻のお墓を、莫大なお金と労力をかけて造ったんです。
国の財政を逼迫させて、
シャー.ジャハーンは息子に幽閉されてしまう。
25年後に、幽閉されたジャムナー河の対岸で亡くなって。
やっと2人は、Taj Mahal で並んで眠っています。
想像していたよりも、更に素晴らしかった。ランドスケープが秀逸。
インドの人にとって、ここは伊勢神宮のようなもの(?)
みんなおめかしして、国中からやってきてました。
で、ここが入口です。
中に入ると、宝石で象嵌された白い大理石の棺が並んでいます。
でも、それはダミー。
盗掘を恐れて、本当の棺はその地下にあるんです。
大混雑。 並んで、待って、地下室に下りました。
私は、遠くからやってきたご老人の団体に挟まれて見学。
狭い地下室は入口廊下から、もう揉みくちゃ。押し合いへし合いです。
で、 差別ではないんですが。
インドではライ病の人が多い。特に昔のご老人によく見かけられます。
私の周りの団体ご老人は、よく見ると半数ぐらいがそのよう。
押しくら饅頭状態なので、本気で焦りました。
差別ではないですよ。正直な恐怖です。
で、暗い中、恐怖の中、 撮った一枚。
Agra Fort Station 野生の猿が屋根にたむろっていた。
駅廻りのバザール。 朝、昼、夜と、いつでもごった返していました。
フルーツを売る屋台。
美味しそうです。買う時に親切でカットしてくれるんですが。
私は丸のまま買います。
包丁が細菌に汚染されていて、危ないんです。
揚げ物を売る食料品店。 買って食べて。ギリギリセーフ?
いや、ギリギリアウトですね。
これは、噛みタバコ屋さん。
Pann と言って、石灰の粉末を水で練ったペーストに、
砕いたビンロウ樹の実、ドライココナッツ、カルダモン、丁子などの
香辛料を加え。
銀箔を塗ったキンマの葉で包んで食べる嗜好品。爽やかな味。
パーンを噛むと、口の中が赤くなり、赤い唾液を道端に吐き出す。
日用陶器が積まれていました。
お皿の形が、とっても美しいので何枚か買ってしまった。
まだ旅は長いのに、陶器といっても素焼きなので脆いのに、
なんとか日本まで持ち帰りました。
バッグを開けたらみんなコナゴナ。 懸命に補修。
形がいいでしょう
機会仕掛けの小象? 選挙運動の車でした。
でっかい、ぼろい、スピーカーで駕なり立てていて、
かなりの騒音です。
この頃のインドの物流はトラックが主役です。
主要街道は、ボロボロのデコトラがひっきりなしに通過していく。
道端に繋がれたワンちゃんの顔。ストレス溜まってますね。
Fatehpur Sikri 1574〜1588 14年間だけの都。
ムガル朝.3代.アクバル大帝が、シクリー村に、
子供が出来た祈念に都を移してしまったファテープル(勝利の町)。
(無謀?暴君?)
しかし、水利の悪さと夏の暑さに、見捨てられてゴーストタウンとなった。
忽然と現われて、忽然と忘れ去られた廃都。
やっぱり、無謀な暴君ですね。
その広さは相当です。赤砂岩で作られた都。
透けるように彫刻された建物がそのまま残っていました。
アグラー近郊の田舎町。
空き地や水溜りが多くて、1950年代の日本もそうでした。
州境。 Bharat pur でバスも検閲。半日程足止めされた。
時間があるので、村をブラブラ。
一軒のお宅を訪問できました。 中庭形式の住居です。(木に登って撮影。)
可愛らしい小さな小屋はトイレ。ではなく、穀物倉庫みたいです。
水瓶に生活水を入れて。 「こんにちは」 「ナマステイ」
旅はアグラーから西へと向かいます。
ジャイ.プール、ジョド.プール、
そして西の終着点。 タール砂漠のど真ん中。ジャイサル.メールヘ