2010.02.27 Saturday
卒業設計展ゲストクリティーク&DDC賞決定&講評文
JUGEMテーマ:建築
きょうは、母校の卒業設計展「DA展」 でゲストクリティークでした。
講評会の最後に、
私たちOB会から 「DDC賞」 を発表.授与させていただきました。
「DA展」は、学生主体で運営している卒業設計展です。
場所は田町の建築会館(建築学会)で、今年は23日〜28日まで。
何人かの建築家と私たちOBが講評会のゲストに招かれます。
今年は、
中村竜冶さん・西沢立衛さん・長谷川豪さん・吉村靖孝さん (50音順)
がゲストアーキテクトでした。
そしてここで、「DDC賞」も発表.授与しています。
DDC賞もOB主体で贈っているので、
このときが一番ふさわしいと思っているからです。
真面目に書いた講評文も全員に配布します。
今年の講評会は、いつもと違うかたちでした。
全員がまとまって説明、講評を聞いていくのではなく、
ゲストはみんなばらばらに、それぞれの作品の説明を聞いていきます。
ゲスト.中村竜冶さん。
ゲスト.西沢立衛さん。 山本圭介先生。
ゲスト.長谷川豪さん。
ゲスト.吉村靖孝さん 。
そして、DDC賞の発表、授与も...
DDC賞の楯は、金メッキされたハイテンションボルトと、賞金!
(高層鉄骨ビルで梁などの接合に使われるボルトです。)
「DDC賞について」
DDC賞は、本大学建築学科卒業生有志により運営している
「東京電機大学デザイナーズクラブ (DDC)」 が、
毎年、卒業生にエールを送る意味で、卒業設計に対し贈っている賞です。
選考は、「可能性」を最も重要な基準にしています。
つまり、今はまだ建築の表現が多少未熟でも、
「この人の十年後を見てみたい」と思わせる作品を選んでいます。
この賞の意義から、私たちは卒業生全員に贈っているつもりです。
DDCメンバー代表 古見 演良
今年の卒業設計.自由課題は24作品
講評会に参加したOBにより、投票で上位14作品を選びました。
討議をかさねて、その中から5作品が受賞ノミネートに。
さらに投票、討議の上。
今年は2作品にDDC賞を贈らせていただきました。
以下は、私の講評文です。 (総評と各作品について)
今年もみなさんの英知の結晶を見させていただきました。
全体の印象を先に書きます。
今年は問題定義がしっかりしていました。ほんとうに良いことです。
建築を取り組む姿勢に感心しました。図面、模型は、良く表現されていて、
だから、プレゼンテーションに中途半端さがなかったです。
だけど限られた時間の中。
プレゼに時間やエネルギーの大部分が割かれている印象。
(そのことも大事ですが...)
発想やコンセプトを建築化するためのスタディが弱かったように見えました。
スタディを重ねていかないと、自分の頭の中を抽象化できません。
だから、目の前の自分のスタディの良いところ、悪いところが、見えてこない。
表現すべき核心がずれてしまうこともあります。
スタディは大事なんです。辛口のコメントになってしまった。でも大事なんです。
DDC賞受賞作品 2作品
西島 要 自由に延びる建築は群れを成す
都市部中心での住居集合の可能性を提案。
西島さんは都市居住のスタイルを、隣どうしが空間を共有していくのではなく、
個々の住環境の独立性で提示しています。
そのプログラムを解くために。
住居は細長い棒状の形になって、何本も地面に突き刺さっています。
それらは上の方で束ねられていて。
だから、細長い建築もお互いに支え合って、耐震力を増しています。
一見すると。そのスタイリッシュな建築は、
「アイデア一発の造形」に見えてしまいますが。
図面を読み込んでいくと、考え方が建築の形になっていました。
きちんと設計されています。 おそらく、この考え方や形を建築化するために
膨大なスタディがあったことでしょう。
しつこくスタディを重ねることは設計の基本です。私は高く評価します。
全体としてみた場合。部分である、各住居のコンディションは均一ではありません。
中心部と周辺部、低層部と高層部、いろいろですね。
でも、それらの住居の中からみると。
コンディションは均一で、どの住居も四面が開放されています。
住宅地と都市中心では、住環境の評価は同じでない。
都市中心でのこのかたちは、住環境の提案になっていると思います。
西島さんは、店舗併用住宅を考えていましたが。
それだと動線が煩雑になってしまう。住居だけでいいのではないでしょうか。
また、後で話しをしていたら。
昨年の卒業設計、吉岡祐馬さんの「内外反転建築」の問題定義を引き継いだ。
と言っていました。私はそれも良いことだと思っています。
もちろん。個人の設計なので、問題も自分で提案すべきですが。
「これは良い」と思ったことは、自分でもやってみるのは、ありです。
真似ではなく。その問題を自分の中で咀嚼して、
自らの計画として建築になっているのだから。
中村 創 そこにある姿 ー長崎斜面都市再生計画ー
入り組んだ海と山に挟まれた坂の町、長崎。
階段状の傾斜地を建築で覆うことで、
緩やかに起伏していく人工斜面地形に変えてしまう計画です。
住宅地計画が、長崎が抱えている問題の解答になっています。
たいへんに意義のある提案。感心させられました。
階段状の地形をなぞって住宅は設計されていましたが、
緩やかに起伏した屋根が、階段状の傾斜地を繋がっていく斜面地形に変えていて。
ある程度のアクセスフリーを実現しています。
高齢化社会の傾斜地にもバリアフリーな街ができそうですね。良い提案です。
ただ、それらの屋根は全てが繋がっていなかった。
何段か毎に生活道路が計画されていましたが。
そのことで、この提案の一番大事なところがピンボケになってしまった。
角度が急で繋げなかったとしたら。
屋根を鉄道線路のスイッチバックみたいにして繋げていけば。
長崎の町は、海から山までが一体化されたのになあ。
ちょっと残念です。
階段状な地形のパターンにあて嵌めるように、
個々の住宅平面計画がスタディされていましたが。
屋根の起伏が繋がっていくためのスタディのほうが大事だったのでは?。
考えたことを抽象化していない。
この提案を自分自身で俯瞰して見ていない印象もありました。
DDC賞ノミネート作品 3作品
斉藤 誠 つなぐかべ小学校
社会環境、経済状況に振り回されて、土地は時代を反映しています。
都市部といえど、住宅地は穴あきだらけ。
今はコインパークとして上書きされていますね。
それらの穴あき敷地を繋いでいくように、全長600mの小学校が走っています。
大胆に見えて、実はクレバーな提案です。
細長い紐のような形に小学校を設定するわけですから、
いろいろに問題が起こる?...
ところどころで膨らんだ形に大きなボリュームを納めたり。
二股に分かれさせたり。 設計力がしっかりしています。
私が評価しているのは。 細長い小学校を実現させたことも、そうですが。
そのことによって、小学校と廻りの家との間に、
地域と小学校の関係が提示されていたことです。
地域に密着した学校が抱えている問題は、まだまだありますが。
問題解決の突破口になる可能性を持っています。
街と学校。都市計画(下町アーバンデザイン?)の提案にもなっていたことです。
この提案は小学校ではなくても、他の機能でも成り立ちますね。
普通そのような場合は、あいまいな計画になってしまいますが。
これは成り立っています。
社会を見据えた問題定義がしっかりしているからです。
斉藤さんの作品は、ふたつのDDC賞とほとんど同点。僅差でした。
DDC賞を贈れなかったことは残念です。
鈴木 翔悟 虹む暮らし
今でも路地で繋がった生活が展開されている、佃島、月島。
そこに都市型集合住居の計画です。
この辺りは、今や再開発ラッシュに晒されています。
だから、この提案には興味を惹かれました。
鈴木さんは、コンテクストとしての「路地」をキーワードに、スタディしています。
評価しているのは、「路地」が懐古的観念で終わらず、
建築をつくるための言葉になっていたことです。
図面を読み込んでみると、住居どうしを結ぶ路地に生活が染みだしていました。
ある程度のプライバシーは住み手の意志によってオープンにできます。
ここでの「路地」は単なる通路ではない。
「路地」がもつ特性を上手く使って、
この辺りに建っているステレオタイプな高層マンションに対抗しています。
生活のプライバシーがオープンになると、いろいろと問題が起きるでしょう。
でもそれは、常識概念に囚われている人にだけです。
じっさいに、佃島、月島で、人々はオープンな生活をしていますね。
それだって「路地」があってこそです。
新しい「路地」はグラウンドレベルから4層ぐらいで展開されていましたが。
もっと高層にして、無限に重ねられる「路地」の風景を見てみたくなりました。
それは、考え付かない方法や空間になっていったかも。
廻りの高層マンションと同じボリュームだったら...
それらの超高層に肘鉄を食らわしていたら...
鈴木さんの考えていることがもっと際立ったでしょう。
後藤 大樹 建築生物
浅草に現代の九龍城砦?
「家型」という箱を積み重ねていくことで、「生活」の集合体をつくる。
ぎちぎちに詰め込まれた「家型」は、
全体で、建築から離れた風景を見せています。
説明を聞いていて。
「生活」は二つ以上の「家型」を使い、一つの住居となっているようです。
そのことで、ここでの生活は動線が交錯し始める。
「生活」という小さなネットワークが、無限に集積されて、
新しい風景を作っているのですね。
「生活」の集積回路?
「家型」はどこか一面がガラスになっていて、光を入れる。と、言うより。
この提案なら、生活の一部を開放する。と言ったほうが、的確でしょう。
ここでは既存の常識、概念は当てはまらず。
密集した生活が、見たことのない風景になっているでしょう。
それが心地よい。とか、住みやすい。とかから離れたところで、
この提案は成り立っています。
自分の明確なビジョンと概念で建築を作ろうとしていることを評価します。
ここまで既存の建築に当てはまっていないのですから。
いくつか内在しているメイン動線計画も、既存にない方法が考察されていたら。
他の生活インフラ、自然環境も、同じに考察されていたら。
みんなを説得できる形になっていたかも。
上位作品 9作品の中から
東木 宏樹 まちのあしあと 〜kikkoman park~
お醤油の世界ブランド、キッコーマンの町、野田。
今でも町のほとんどはキッコーマンが占めている。
そこにアンテナショップならぬアンテナファクトリーの計画です。
その場所には、近くを流れる江戸川の土手をコンテクストにした形が、
縦横にプランニングされています。
「土手」に囲まれた中庭はお醤油の原料である大豆の畑でしょうか。
収穫の風景がモデルになっています。
真面目な取り組み方が良いです。
私が評価しているのは、東木さんの建築を作るときの姿勢です。
この場所にあるべき建築のイメージがしっかりしている。
自分の作る建築の風景が、既存の建築に拠っていない。
良いことだと思います。
「土手」の中で展開されるアンテナファクトリーは、
きっと、楽しげな空間になっているでしょう。
窓から見える大豆畑と、土手の斜面に座っている人たちが、
日本の原風景を再現しているかも。
少し惜しいと思うのは。
せっかく、「土手」をコンテクストにしたコンセプトなので。
もっと大きな敷地で計画すれば...
野田の町までも縦横にプランニングしてみたら...
江戸川の土手と繋いでみたら... と思いました。
そうすると。この「土手」は、
野田の町にキッコーマンブランドのイメージを、より明確にするでしょう。
そのとき、土手の建築が、本当の土手のアクティビティを重ね始める。
岩重 卓也 地との共生
家は木の上に乗っかっていました。森の上で生活が拡がっています。
森林集合住居?というんでしょうか。
だけど、この方法を抽象化してみると。
この場所では、
「自然」のフロアーと、「生活」のフロアーがオーバーラップして重なっています。
「森」というキーワードでデザインされているので、
上に並べられた家の影も、「木陰」、「木漏れ日」、になっていて。
暗い場所も違和感がありません。
私は、この方法をとったことを評価します。
高さをもっと調節して(影がもっと違和感がないようにしないと...)、
生活インフラや、樹上の生活動線をスタディしていけば。
この建築は実現出来ると思っています。
残念なのは。そこをトムソーヤーやジブリの世界で描いたことです。
発想の始まりはそれでも良いのです。
だけど、スタディを積み重ねていくことで。
岩重さんの頭の中にある言葉やイメージを、
建築の言葉やイメージに変換させていかないと。
計画のリアリティが強くなっていかないですよね。
でも、この提案に私は惹きつけられます。
湯浅 絵里奈 21世紀小学校
殆ど過疎と言っていい。 都心部中心の人口です。 小学児童の減少も当然。
都心.赤坂の小学校を再開発。
近隣の小学校をここにまとめて、2000人規模の小学校コンプレックスを作る。
その小学校は、廻りの高層建築と肩を並べて。
運動場はいくつも空中に浮かんでいました。
ブツブツに切られた上下動線も、小学校同士が邪魔をしない移動のためです。
グラウンドフロアーは都市に開放されていて。
時にはここで、児童や父兄と街の人たちが交流できますね。
提案にリアリティがあり、社会状況まで視野に入っています。
建築に対する姿勢を高く評価します。
私は、湯浅さんの計画を一度エスキスさせていただきました。
完成された今日の発表を見たら、規模は縮小されていた。
残念です。
これでは、児童が減少していく都心の小学校を、空中に再開発することの
リアリティが見えてきません。
2000人規模の複合小学校は、スタディしていくと、
さまざまな設計上の問題を示すことでしょう。
それらの問題を、問題として解いていくことが設計です。
問題を、問題が起こらないように排除していったら。
新しい建築の姿は見えてこないと思っています。
鵜川 瞬也 ツクエノシタ
机の下にもぐり込んだときの安心感。机の足が区切っていく空間。
で、計画された図書館です。
さまざまな大きさの「机」がランダムに配列されていて、
図書館のプランを現しています。
空間がランダムに連続していく。のですが、単調な繋がりで終わっています。
もっと空間にいろいろな表情を見せられる方法なので、残念です。
「机」をキーワードにしていても。
建築化された「机」は、いわゆる建築空間を現すスケールに終始していました。
ほんとうの机の大きさから大きな空間を制御する「机」まで使われていたら。
この場所に小さなスケールから巨大なスケールまでが組み合わされて、
図書館の形になっていたら。
それら大小の「机」が作る風景は、新しいものになっていたでしょう。
評価しているのは、建築に対する真面目な姿勢。
スタディの痕跡が図面に出ていました。
中山 佳彦 おくる場
横浜、京浜工業地帯。河や運河で囲まれた水辺に葬祭場の計画です。
説明を聞いていて。たいへん真面目にリサーチされていました。
葬祭場にふさわしくない場所につくることの説得。に、感心しました。
4基の炉の必要性も聞いていて納得です。
この場合の建築になる炉のデザインも、よく設計されていた。
ただ、葬祭場としての場所があまり考えられていないように思えました。
入口から炉が見えるダイレクトなアプローチ。
全体に対して小さめなホワイエ.ホール。
せっかくのこの場所なので、
廻りの運河も整備して、綺麗な親水空間をつくってほしかった。
ダイレクトなアプローチは、私は違うと思います。
葬祭場では、アプローチも大切な要素です。
有名なアスプルンドの「森の葬祭場」は、
そのアプローチや廻りの森が評価されていますよね。