東京電機大で卒業設計講評会に参加しました。
私はD.D.C.(デンキダイガク.デザイナーズ.クラブ)というOB会の
会長をしていまして、卒業設計講評会にもOBとして参加します。
私たちOBの講評をきちんと文章化。公表.掲示しています。
優秀な学生に毎年「DDC賞(OB賞)」を授与させていただいています。
DDC賞審査については、次のブログで。
OBが後輩の卒業設計を 「講評.文章化.掲示」 している大学は、
電機大だけではないか? と、胸を張っています。
電機大の卒業設計講評会ではちょっと変わったことも。
「卒業設計賞」は、先生全員の採点で最高得点の設計に贈られますが。 講評会に集まった常勤、非常勤、OBが学生のプレゼンテーションを聞いて、最後にもう一度、それぞれが五つの作品を選びます。その得票数6〜8位までの作品をトーナメント形式で2つずつ戦わせて勝ち上がらせ。勝ち残った作品にこの日の「賞」を贈ります。
面白いのはその戦い方。学生には発言させず。学生たちの前で、選んだ講評者どうしのバトルになります。評価する側も評価軸を評価されますね。その作品を深読みして、潜在している価値を掘り出して、褒めたり、貶したり。また、トーナメントなので評価は常に二者択一。選ぶのも悩ましいです。
学生たちには意味のあるバトルになります。私もバトルに参戦です。
バトルの模様。
学生たちは、講評会よりも前屈みになり真剣に聞き入ってます。
トーナメントは...
全体の印象をはじめに言います。それぞれ発想(コンセプト)が面白かった。「いろんな事から建築を考えるなあー...」と、感心しました。考えていることの柔軟性を評価したいです。
だけど、
コンセプトの輪郭が見えてきて。そこからは明らかにスタディが間違っています。だから建築がコンセプトの最適な形に成っていない。スタディが不足?には思いません。どの作品もエネルギー、情熱を感じます。「建築の作り方を知らないのかなあ?」そういう印象です。例えば、平面計画に新しさを求める作品が少なかった。設計が苦手なの?ですか?。建築計画、建築設計を軽視しすぎな印象です。計画、設計がしっかりしないと、どんなに良いコンセプトも建築の形に成っていかないと思う。設計が造形の基礎演習で終わってしまいます。
講評会でほとんどの講評は、「これはこう言うことなんだよね」、「こうなるから良いんですよ」 ... 。私たちは作品を探るようにしか発言できなかった。それは建築のベースとなる部分が弱いから、考えたことの最適なかたちになっていないから、どうしても、両手を挙げて褒められなかったのです。君たちの作品を深読みして潜在している可能性でしか評価できなかった。
それでも、
考えていることの柔軟性は大事な資質。これからもスタディは続いていくのだから、そのことを意識していってください。
私が気になった作品は、
柏崎 潤さん 「 Full square 」
建築の形はどう構築していくべきか? 空間の関係にどんな制御や操作が可能なのか? いわゆる3次元立体として探るのではない。別な方法、アプローチを提案しています。
立体を、数値化されたグラフのように捉えて、マッスとボイドの比率、関係が作られ、ベースが出来上がる。そのバリエーションから、中の個々の空間機能を当て嵌めていく。建築設計の視点で言えば、逆算しながらスタディしているかのようでした。また大きさの違うベース立体が組み合い、全体で相似形なベース立体になる。自己同次性を内在しているフラクタルな考え方の空間設計? マンデルブロ図形の建築版?
私には大変面白かったです。自分の考えていることを最後まで諦めずに、逃げずにスタディしていた痕跡がプレゼンテーションから見えてきました。自分のイメージにしっかりしたリアリティがあって、真面目に取り組んでいく姿勢がいいです。
可能な限り建築的アプローチでは無く、自分が考えたアプローチ、スタディであったから、ちょっとオーバーですが、美しかったです。アプローチが建築的で無いのだから、いろいろな部分で不備や欠陥もあることでしょう。不完全なところも見えるでしょう。それでも私は高く評価します。こういった考え方、スタディが続けられ重なっていって。建築の意味がイノベーションされていくのだと思っているからです。
本庄 麻美さん 「出会い、つながる」
屋根というか、床というか、あっちこっちが切り欠かれた大きな白い平面が、重ねられた形がずれることで場所に成っている。場所の作りかたがクレバーな印象です。さまざまな可能性が見えてきます。
もっと大きな都市的スケールでも、小さな集合住宅でも有りうるコンセプト。ところどころで切り欠かれた穴で、上下がストーリーのように繋がっていくので、そのアーキタイプも自由自在ですね。クレバーで強い提案を高く評価します。手描きの内観パースを見たらはっきりと建築の風景が表現されていました。自分のイメージにリアリティを持っていることは大事なことですね。真面目に正面から自分の建築に向かっている。最後まで設計を逃げていないことに感心しました。
ただし、
より内的な空間(部屋?)を作るために、四角いマッスとしての建築が挟まっていましたが、それはこの考え方を自ら否定してしまう。コンセプトの形をピンボケにしてしまう。白い平面の重なりだけでは設計に問題が起こっていくので、四角い建築を嵌めて問題が起きないようにしたのでしょうが。それらの問題をこの考え方で解決していくことが、コンセプトの最適な形を作るスタディなのだと思います。
占部 将吾さん 「大地を縫うワンルーム」
遠くから見たら、アールを描いた白い枝がパラパラと地面に降り落ちた「風景のような建築」。地下にもその枝が刺さっていってる。スケールが大きくて建築として美しいと感じました。構造の視点からも美しいですね。タイトルどおり。それらが絡み合って、縫うように空間が関係していく。どのようなアーキタイプでも納めてしまう強さがある。基本構想を評価します。
これからスタディすべきは、斜めなフロアーを機能させるための提案、ディテール。立体的な組み合わせのバリエーションから、さまざまなアーキタイプへの適合性を見い出すべく、この提案の公式を見つけること。ですね。
ちょっと残念だったのは、地下でも縫うように空間がデザインされていたら、この提案に潜在されている違う顔が見えたかも? 可能性として見たかったです。そして。この魅力的な形に最適な平面計画が嵌まって。形は建築になっていくのですが、計画のスタディが足りない?印象でした。白い枝のばら撒かれ方にも、沢山のスタディが必要なのです。
山田 飛鳥さん 「こどもたちの居場所 - 今日はどこで遊ぼうかな - 」
地上より持ち上げられた緑の絨毯は、埋没したように埋め込まれた屋根の連なりに手が届く新鮮な風景になっています。絨毯の下では、木造の家が光を下ろすトップライトになっていて、新鮮な空間が見えてきます。単純な操作だけで、今まで見たことのない場所を作り出している構想を高く評価します。私は小学校だと勘違いしていましたが、タウンセンターとバスターミナルなんですね。面白い。そして小学校でも楽しげに思える建築。単純でも強いコンセプトが気に入りました。
絨毯の上では屋根の配置が広場の空間ダイアグラムを決定します。絨毯の下では屋根の配置がアーキタイプを適合させていきます。細かいところや平面設計はまだ不完全に思えましたが、それはこれからスタディをしていけば解決できる。(それでは駄目なんですけど...) このコンセプトに考え付いたスタディの瞬間を大事にしていってください。
竹山 夏美さん 「記憶とともにある歴史建造物の再生
- 元町小学校小公園再生計画 - 」
歴史的に意味のある建築を保存する場合、いろいろな方法があります。床の間に飾るように、その歴史的価値をいにしえのまま残す。それから。建築の機能を上書きするように、現在の建築としてリノベーションされて生きていく。この提案は後者です。評価しているのはその視点。建築の屋根に着目してここでは、離れた公園と繋げて空中に新しい空間を作っています。それらを連結する場所は図書館になっていました。いや、この提案ではその屋根が空中の動線になっていることに意味があります。この方法は、「都市部の空中に新たなインフラをつくる」というプロトタイプの可能性も見えてきますね。感心しました。
ただ、竹山さんが自分の考えたことの本当の意味を自分自身に説明出来ていないこと。だから大事な連結部が細い空中廊下になっています。これでは「繋がれる」ことは出来るけど、それが意味のある機能に、都市の新たなインフラには成っていきません。繋がった真ん中の図書館の設計が中途半端な印象でしたが、そのことも大事なのですが、この提案ではそのことよりも、「建築の屋根」の意味を問い直す事が重要ですよね。竹山さんが自分で考えたことを抽象化できていたら、屋根が新しい意味になる、「あるべき形」が見えてきたのに...。惜しかったです。
荒井 亮さん 「都市の毛細血管」
既存ビルディングで満たされた都市中心。それを、最小限なリビルドで広範囲に再開発させる提案です。ビルとビルの隙間、土地の空中権をベースに、新しい空中空間インフラが張り巡らされていく。いわゆる都市計画ではなく、都市自体を建築空間の視点でアプローチしている考え方を高く評価します。魅力的なコンセプトです。ただ、この方法をいろいろなケーススタディに当て嵌めて、建築操作の公式や、既存都市との適合バリエーションが見たかったです。コンセプトの輪郭が出来たところでスタディが終わった印象なのは残念です。
中嶋 大介さん 「住商共存生活」
澁谷川が暗渠化されて、その両側は徐々にショップで埋められ、埋め尽くされていって。更に交差する路地にも、ウラハラはこの道筋に染み込んでいったのです。「暗渠」という操作が、アノニマスな都市の路地を作っていく。ウラハラのような、暗渠された場所は日本中にたくさんあります。提案がプロトタイプになっていく可能性がある。意味のある提案。
ウラハラの路地感覚で、裏原を再開発している。計画されているようでアノニマス。その印象を確定させているのは、ボックスinボックスの住宅でした。2重構造のスキマは、セミパブリックや半外部空間というより、路地を内在させている。プチウラハラが生活を包んでいます。なかなか面白い空間ダイアグラムでした。
残念なのは。その考え方は、この場所で同じく密集しているショップボックスにも使われていないこと。この場所全体がウラハラをメタファーにしたレトリックな提案の空間になりません。それに配置されたボックスの「隙間な」外部空間に設計の痕跡が見られなかった。計画のないスキマは、単なる隙間でしかありません。
堀 聖弘さん 「交差する風景」
首都高速が突き抜けていく東京の丘陵地を再開発しています。ローマの水道橋? ダム? 並列に並べられた壁のような建築を首都高が貫いていく。ひとつひとつの建築は真面目に作られていて、細かい部分まできちんと設計されていました。設計力の高さを評価します。
図面を読み込んでみると、全体計画がコンセプトグラフィックや空間ダイアグラムで表現されていましたが、模型を見る限りそれは建築の形、表現になっていなかったことが残念です。個々の建築に向かい合うビジョンの強さと同じに、全体計画が表現したい意味を強いビジョンで見せて欲しかった。
花田 洋輔さん 「かべの芽は公園を包む」
集合住宅が建築として持つ意味は。 生活がひとつの場所で関係されること。小さなグルーピングでの関係、全体を形作る大きな関係。それらは、一戸建てが密集された地域での関係とは、違う意味を持ちます。それから、その集住と廻りの環境、都市との関係にも意味を持ちます。花田さんは説明の中で、透明性を語っていましたが。その透明性がここでは、集住と四角い中庭の関係ばかりでなく、都市と集住の関係にも見てとれました。また透明な建築は都市と中庭にも関係を生んでいます。シンプルなコンセプトですが、生活、外部、都市、さまざまな意味の関係がデザインされている。「透明で生活は出来るのか?」 このことはまた別の問題として考えていきましょう。社会の通念、常識、慣習は生きものなので、時代と共にゆっくりと変化しているのですから。
だけど、
この透明な集住のコンセプトはもっと高層化されたほうが、意味を強く発揮できると思います。超高層集住でも良かったのでは? その時に巨大な超高層建築はその透明性によって、都市からの視線を通過させる。高密度な生活空間なのに都市にじゃましない新しい関係を作りますね。
武関 夢乃さん 「 collective village 」
終電を乗り過ごした真夜中の放浪者。住所を破棄した人たち。ネットカフェをインフラにする生活。都市生活の端部を建築の場所としてデザインした提案です。建築の性格が「かたち」となっていました。それを必要としている人たちには快適な場所になるのでしょうか。私にも魅力的に見えました。建築生産の視点、成長する形としての建築、メタボリックな思考で見るとこの提案は不完全です。それでもこのランダムな集まりが魅力的に見えるのは、グルーピング計画が良いことと、快適そうに見える外部デッキテラスが周囲の環境と都市的な関係になっているからでしょうか。
ただ、真ん中の大きなボイドで全体をひとつの空間にまとめていますが、グルーピングとの関係が乱暴に思えます。もっと小さな吹抜けがランダムに配置されていて、複雑に関係されていったら、楽しげな内部が生まれたでしょう。
中川 雄太さん 「川越の文化複合施設」
黒い大きな塊が川越に出現した怪獣のような、文化複合施設。その黒い色は、川越の瓦屋根から引っ張り出されたコンテクストですね。その、「街並みのコンテクスト」をひっくり返すようなランダムな形が、私には新鮮でした。設計計画や空間ダイアグラムが云々。よりも。何故この建築がこの場所に建っているのか?。に、興味が惹かれました。「大きな破綻は無く、大胆ながらきちんと考えられている」。真面目な姿勢だから、最後まで自分の考えたことを建築のかたちに出来た。建築家であるための基本的資質ですね。
細田 絵里子さん 「猿島美術館」
戦時中は重要な軍事拠点。要塞として機能していた「猿島」の軍事遺構をリノベーションすることで、現代の猿島をデザインする提案です。地形と地中の遺構を建築計画的な空間と捉えているスタディは同感できますが、リノベーションの操作が弱いように感じました。もっと地中を大胆にデザインしても良かったのでは?。それに。島の中腹に出現した建築の造形が、猿島には馴染んでいません。島の平面を円のダイアグラムで計画していく感覚は、高く評価しています。それが立体になっていく時に、スタディが間違ったのでしょうか。ポエティックな印象に引っ張られすぎたのですね。建築のプログラムを確定させるための情報量が足りない印象です。
卒業設計講評会 東京電機大学
http://plastake.jugem.jp/?day=20100209卒業設計展ゲストクリティーク&DDC賞決定&講評文
http://plastake.jugem.jp/?day=20100227